ひとことで
身体や生活を厳しく制限し、宗教的な目的を目指す修行。
古代インドには厳しい苦行を行う修行者がいました。釈迦も苦行を試み、その後に離れたと伝えられます。
このことばから見えてくること
厳しいほど正しい、という見方を問い直す。
苦行の伝承を知ると、釈迦の道が、苦しさの量を競うことではなかったと読み取れます。
苦行から成道、中道へと語をたどると、実践を見直す転換が仏教の始まりに位置づけられていることが分かります。
疲れているのに休まず作業を続ける場面を考えると、努力と自分を痛めつけることの違いを問えます。ただし日常の無理と、古代の宗教的な苦行は同じ概念ではありません。
仏教での意味と背景
釈迦は激しい苦行の後、乳がゆを受け、瞑想に向かったという伝承があります。初転法輪では、快楽への没頭と苦行の両極端を離れる道が語られます。
誤解しやすいところ
苦しめば必ず覚れる、という説明ではありません。
厳しい修行の伝承を、現代の生活で身体を傷つける勧めに置き換えません。仏教の修行全体が苦行だけを指すわけでもありません。
